金魚ちゃんは青羊の夢を見るか?

北関東や、福島でもまたしても大きな揺れが続き心配。13年経っても安心できず、新たな脅威にも晒され・・・。早くみなさまが幸せに暮らせる日々が訪れますように。

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散髪の昔話

Web拍手を押してくださった方、拍手にてコメントをくださった方、ありがとうございました。
四年前、一応アップする許可は不死鳥先生にいただいたんですが、今はどうかわからないので
ちょっとお聴かせする事は難しそうです。でもファンじゃないと面白くないかもしれない?
いつか不死鳥先生が帰ってきて、またねとらじをしてくださったら良いですね・・・。

美容院や理容店ではどんな話をしていますか?よく何を話して良いかわからないと聞きますが。
僕もそう得意な方じゃないので黙る事も多いけど、中学生の頃から切ってもらっている人なので
沈黙してもそんなに気まずくない。僕は基本的には仕事や家族の事を話したり、理容師さんの
家族の話を聞いたりしている。あとテレビでニュースを放送していればそれについて話したり。
人間関係を築くのがめんどくさいから、新しいところへ切りに行ったりしたくは無いな・・・。

お金を節約する為、小学生から中学二年生までは父親にバリカンで散髪してもらっていた。
最初はスポーツ刈りだったのだけど、だんだんと前髪が短くなっていき、坊主に近い髪型に
なっていったので、いつも髪を切られるのが嫌で嫌でたまらなかった。本当に憂鬱だった。
でも父もわざわざ時間を割いて切ってくれたので、いつも「ありがとう」と言っていたけど。
中学二年生の時はクラスメイトの一人からからかわれたりして、切られた後は学校も嫌だった。
わかめを多めに食べたり頭皮をマッサージしたりして、毎日早く伸びろと念じていたっけ。
やがて中二の終わりにどうしても耐えられなくなり、一大決心をして久しぶりに床屋へ行った。
父はあまり快く思っていなかったみたいだけど・・・。それから父に切られる事は無くなった。
ちょっと申し訳無い気持ちになったけど、まぁ当然の権利だよね・・・。心底ほっとしました。
当時、もし将来子どもができたら絶対に床屋に行かせてあげよう、と決めていたなぁ・・・。

嫌だったけど、もちろん父も悪気があって切っていた訳じゃないので責める事はできない。
まぁ多かれ少なかれどこの家庭でもそんな我慢はあったのかも。当時はそう思えなかったけど。
この経験から得た事は?うーん、わからない。という事で今回はここまでです。それではまた。

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